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高木兼寛 ビタミンの父 (1849〜1920)高木兼寛は1849年宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学した後帰国、難病といわれた脚気の予防法確立をはじめとして、日本の医学会に多大な貢献をした。また東京慈恵会医科大学の創立、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大造営など数々の偉業を成し遂げた。「病気を診ずして病人を診よ」 という言葉が有名です。
お問い合わせ先 高岡町観光協会 TEL(0985)82−1111 FAX(0985)82−3492
9月中旬〜下旬 ビタミンの父の誕生祭が行われる。 |
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