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水かけ地蔵尊まつり「みずかけ地蔵尊まつり」は、毎年7月23日(宵祭り)と24日(山車巡行)の2日間で行われる宮崎市中村町善栖寺(ぜんせいじ)に伝わる夏祭です。この夏祭りは、山車に乗ったお地蔵さまの巡行行列に町民が水をかけるもので他にあまり類を見ないものとして有名です。
幼稚園から小学校低学年の子供達が一番暑い真夏の日中に山車を引いて町を練り歩き、町民(大人)が水を掛ける「水かけ地蔵尊祭り」は、全国的にも珍しく、なんとも可愛くて懐かしい夏祭りです。 宵祭り 7月23日 18:00〜 山車巡行 7月24日 13:30〜 写真はクリックすると800×600に拡大します。 由来 今から百二十余年前の文久二年(1862年)旧暦7月23日に大淀川の河口から、一体の木像らしい物が流れに逆らって浮きつ沈みつ上がってくるのを見掛け、早速、中村側と宮崎側から多数の人が出て之を争い取らんと互いに網を投げ掛け、自分たちの方へ引き寄せようと競い合い、その結果、大淀側代表に信心深い人がいて、見事に引き勝ちました。大淀の住民は大喜びで地蔵さんを「宮崎郡太田村旧前照寺」の境内にお堂を設け安置し、この尊像を「延命地蔵尊」と称した。この尊像は四国の由緒ある寺の秘仏であったとの説がある。また網を引き合う際、御手や御胴が損傷したので、鎹(かすがい)を以て之を修理したので、巷間では、「カスガイ地蔵」とも呼ばれていた。 尊像は、明治初期の廃仏棄釈令により、壊される寸前橘橋南詰めの石坂屋の主人がお堂を焼き払い我が家に写して危うく難を逃れた。しかし、明治10年の「西南の役」で清武中野方面より官軍の猛追撃を受けた薩摩軍が中村の町を焼き払って北上した際惜しくも焼失したと伝えられている。 その後(明治19年)住民達は、焼け灰を練り合わせ、それを心として尊像に埋め込み、現在の2代目地蔵尊が造られ、様々な時代の変遷を経て、現在善栖寺境内の地蔵堂へ安置され現在に到っている。 火難、水難祓いと共に児童達を守る地蔵尊として広く信仰を集めている。 中村町延命地蔵尊協賛会チラシより お問い合わせ 善栖寺 0985-51-3953 主催:中村町延命地蔵奉賛会 戻 る 祭りTOPへ |
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