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師走祭り(しわすまつり)/神門御神幸師走祭りは木城町と美郷町南郷区(旧南郷村)にまたがって1000年以上も前から脈々と引き継がれ、異国の地で亡くなった百済王一族を慰める祭りです。昔話風百済王伝説はこちらをご覧ください。 旧歴の正月の前(西暦では1月最後の週末)に、比木神社に祀られている百済の福智王の御神体が神門神社に祀られている父の帝嘉王に対面する儀式です。 木城町から神門まで18名の神職などが御神体を棒の先に担いだ(これは御輿の始まりの形とも言われています。)御神幸行列により行われ、南郷区神門で対面、歓迎の様子を表しています。 これらのことを証明する鉾や銅鏡等多数が御門神社に保存されていましたが、現在は西の正倉院に保存されています。 神門神社・西の正倉院はこちらをご覧ください。 木城町から約90kmも離れた神門までの御神幸は、昔は9泊10日をかけ全行程を歩いて行われていましたが、現在は途中車を使って2泊3日で行われています。 1日目は「上りまし」と言われ、早朝比木神社を出発した御神幸は金ヶ浜での寒中「禊ぎ」や伊佐賀神社での親子の対面・禎嘉王の墓と伝えられる塚ノ原古墳での神楽奉納・もろこふちで禊ぎを行った後、野焼き・勇壮な「迎え火」等の神事を行って神門神社に入ります。 2日目はドンタロさん参り・洗濯神事・神楽の奉納等が行われます。 3日目は「下りまし」と言われ、顔にへグロ塗って「アサラバー」とお別れ祭事が行われます。 祭りは百済の文化を色濃く取り込んで伝えられ、日本では大変珍しい祭りです。 2006年1月27日・28日初めて師走祭りに行ってきました。初めてのことでわくわくしながら手当たり次第に色々な話を聞き、独断と偏見を交えての紹介となります。当日お話をしていただいた方に感謝いたします。 1日目の行事「上りまし」 出発(AM8:00) 木城町比木神社に集まった神職外18人が神門へ出発。 金ヶ浜で「禊ぎ」(AM8:50) 神門の父君(禎嘉王)が漂着した金ヶ浜での神事、神職が海中で禊ぎ。 伊佐賀神社(PM2:00) 追っ手との戦いで亡くなった次男華智王を祀る伊佐賀神社で比木神社と神門神社の一行が合流、神事神楽奉納。 塚の原古墳(PM3:50) 禎嘉王の墓と伝えられる「塚の原古墳」で村人の出迎えを受け、祭典神楽奉納の後、 石田・衣渕(もろこふち)で「禊ぎ」(PM5:30) 敵の目をくらますため野に火を放ったという故事にのっとり野焼きをしながら昔の道をたどる。小丸川の渕で再度神職(厄年の男)が「禊ぎ」の後、袋神の笠を取り神門神社へと向かう。この袋神は御輿が出来る以前の祭りの習慣と考えられている。 迎え火(PM6:00) 行列は神門の地主権現へご挨拶、高さ10mの迎え火の中を静かに神門神社へと向かう。
到着(PM7:30) 神門神社本殿へ到着、御小屋で神楽奉納。舞われる神楽は比木に伝わる高鍋神楽 2日目の行事「お衣替え・ドンタロ祭・夜神楽」 御神体お衣替えの神事(AM10:30) 神門比木神社の神職1人ずつ本殿に入りご神体の衣替え、和紙で出来た13枚の衣を替える。御神体を見た者は誰も居ないとか・・ ドンタロ祭(PM3:00) 追っ手との戦で百済王を助けた地元豪族「ドンタロ」さんの塚へお礼参りの神事。 弓の将軍神楽 山宮さま 家畜・農事の神事神楽、お互いの笹竹で舞いの邪魔をする珍しい神楽 田植神楽 洗濯行事(PM4:00) 小丸川で王の衣を洗濯をした故事にならう神事、その後川原の石を左肩に担いで石塚まで運ぶ。川原の土手にに火をつけ野焼き、石塚の石は増えないと伝わる。 夜神楽(PM7:00から12:00) 優雅な高鍋神楽33番中18番が舞われる。神楽の中には華麗な舞からユーモラス・エロチックな舞と大変ユニークな舞がある。 3日目の行事「下りまし」 お別れ式(AM10:30) 境内でお別れ食事 目黒塗り(AM10:00) 別れの悲しみを笑って隠す「へぐろ塗り」。 祭典(11:30)下りまし 一本鳥居で比木神社を先頭に、婦人達は炊事道具を手に手に「オサラバー」・・・ 両社お別れ(12:00) ご神体に笠を着け出発、米上で洗顔へグロを落とす。 見所が沢山あり、2泊3日で参加されると満足できます。 作成にあたり百済の郷南郷温泉観光協会のパンフレット・西の正倉院掲示文章など参考にさせていただきました。 周辺の観光地:おせりの滝 牧水公園 若山牧水生家 馬ヶ背 周辺の温泉:温泉県北で探す 周辺の宿泊施設:日向市で探す 戻 る TOPへ |