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特別史跡公園「西都原古墳群」西都原古墳群は東西2.6Km、南北4.2Km、標高60から70mの西都原(さいとばる)台地上にあり、古墳は3世紀(4世紀)から7世紀に築造(推定)されたものと言われています。 古墳群は大小様々な形をした311基の古墳があります。 ・前方後円墳・・・ 31基(内10基が柄鏡式前方後円墳) ・方 墳 ・・・ 1基 ・円 墳 ・・・279基 ・地下式横穴墓11基、横穴墓12基 それぞれ古墳の詳細は西都原の前方後円墳と円墳他のページをご覧ください。 前方後円墳の全部と代表的古墳について写真と出土品について掲載しています。 1箇所にこれだけ多くの古墳が集まって、昔の姿そのままに残っているところは日本でもここだけ、大変見応えのある所です。 西都原古墳群地図はこちらをご覧下さい。(上の写真は4月に高取山展望台から撮影したもの、中央が西都原考古博物館・左から第3・2古墳群及び第1古墳群方向、ほぼ西都原古墳群の全景です) 発掘調査 西都原は、大正元年から6年にかけて東京大学・京都大学などの考古学者・歴史学者で組織される調査団によって、我が国始めての本格的な古墳の調査が行われました。そのとき30基の古墳が発掘調査されました。出土したものの多くは西都原資料館(現在西都原考古博物館)に展示されています。 その調査結果から昭和9年に国指定史跡に、昭和27年に国の特別史跡「西都原古墳群」として指定されています。我が国第一号の「西都原風土記の丘」史跡公園として昭和41年から44年にかけて整備されました。 その後、平成7年から5年をかけて古墳時代を代表する13号前方後円墳・100号墳・169/170号墳・173号墳・鬼の窟古墳・4号地下式横穴墓・など発掘調査及び保存整備並びに西都原考古博物館の建設が行われた。 平成16年17年 169・170号墳第2次第3次調査が宮崎県教育委員会(西都原考古博物館 協力:大谷女子大学)により行われました。その調査では重要文化財の舟形埴輪・子持ち家型埴輪は170号墳から出土した可能性がたかくなりました。 同時に宮崎大学考古学ゼミ(代表柳沢一男教授)により81号墳の発掘調査が行われています。調査によると、最も古い81号墳は3世紀半ばに築造された可能性が出てきました。 170号円墳の第2・3次発掘調査及び81号墳発掘調査の詳細は古墳のページをご覧下さい。発掘調査の様子や説明会で配付された資料等を全て公開しています。 しかし発掘調査された古墳の数はまだまだ少なく多くの謎と共に古代ロマンを秘めています。 西都原はどんなところ?古墳時代の西都原と日向王国の誕生 西都原古墳群に立って見るとき不思議な空間が見えてきます、男狭穂塚と女狭穂塚の東側に広がる中央地帯、そこには古くから古墳も何も築造されていません。 なぜか空間が空けてあるのです。(上の写真、菜の花畑や芝生広場になっているところ一帯) もしかしたら、この空間は、東方を仰いで日の神信仰儀礼が執り行われたかもしてません。ここでは男狭穂塚の陪塚と見なされている170号墳(169号墳)から出土した子持ち家形埴輪のような大室屋が建ち、その内部で火がたかれ、数多くの人が集い、何らかの信仰儀礼が行われた場所であると思われます。 西都原とは「斎殿原(さいとばる)」であり、斎祀(さいじ)をする神殿のあったところです。 男狭穂塚と女狭穂塚の両巨大古墳は、高取丘陵からの緩やかな斜面上に築造されており、両塚はその前方部が南東方向を向いています。その方位は、「たつみ」であり日向(ひむか)信仰儀礼と極めて関連が深いことを意味しています。 日向の伝承に関して「日本書紀」景行天皇17年の条に 『・・・子湯県(こゆのあがた:現在の宮崎県児湯郡)に幸(いでま)して、丹裳小野(にものおの)に遊びたまう、時に東を望(みそなわ)して左右に謂(かた)りて曰(のたま)はく、『この国は直ぐ日の出づる方に向けり』と曰う、故、この国を號(なづ)けて日向(ひむか)と曰う』 西都原台地南端には上記「丹裳小野」伝承地があり、日本書紀の他江戸時代に書かれた「太宰管内志」等に登場します。 日本書紀に記載されている景行天皇がクマソ征伐の拠点とした古代日向王国の中心西都原は、日の神信仰が執り行われる神聖な場所「斎殿原」なのです。 西都原古代文化圏 宮崎の古墳は、中央平野部の大淀川・一ッ瀬川・小丸川の3河川流域に集中し、この地域が古代西都原文化圏と考えられています。中でも古代日向の中心部である西都原とその周辺(東方に新田原古墳群・茶臼原古墳群・穂北千畑古墳群、西側に百塚原古墳群・三納古墳群・三財古墳群)には、約800基の古墳が存在し、その中には60基の前方後円墳が含まれています。
西都原古墳群の特徴 1 柄鏡式前方後円墳の群在 古墳時代前期に築造され、前方部が細長く・高さが低く・幅が狭い特徴を持つ日向独特の築造形式の前方後円墳、日向地方以外では景行天皇の巡幸経路に存在するのみで、全国的には極めて少ない。 2 男狭穂塚と女狭穂塚の築造 両塚とも畿内及び吉備地方以外には存在しない日本最大の古墳、5世紀前半に築造された日向大国の大首長墓と思われる。 3 地下式横穴墓の北限南九州独特の墓制で、鹿児島県大隅半島から宮崎県一ッ瀬川流域にかけて600基以上が存在し、西都原古墳群では墳丘墓と混在している。 西都原の花西都原のもう一つのたのしみは、季節ごとに台地を彩る花々。古代のロマンに想いをはせながら、西都原大地を鮮やかに彩る季節毎の花、広い西都原ならではの醍醐味楽しむのもよいのでは!? 春 梅の花 桜と菜の花 ミツバツツジ 秋 西都原のコスモス 柿 西都原考古博物館平成16年に開館した西都原考古博物館は入場無料、近代設備による映像や展示で幻想的な宮崎県の古代の歴史を展示しています。古代博物館では、近代的映像技術を駆使して、西都原古墳群の概要や古墳の仕組み、出土品等を展示すると共に、資料の閲覧が出来ます。又写真撮影が出来る事も特徴の一つです。 西都原考古博物館の運営支援業務の一環として、施設案内や展示物の解説・イベントのサポートなどを研修を受けたボランティアスタッフが行っています。ボランティアスタッフは常時このはな館や西都原考古博物館に詰めています。お気軽におたずね下さい。 お問い合わせ 西都市大字三宅字西都原西5670宮崎県立西都原考古博物館 電話0983−41−0041 古代体験館古代生活体験館では矢尻・曲玉・土器などを作ったり古代衣装に身を包んで古代ロマンを実感出来ます。衣、靴 制作:土器、鏃、曲玉、笛(費用は実費) イベント桜祭り古墳まつり 日向神話にまつわるコノハナサクヤヒメとニニギノミコトノの伝承(古事記・日本書紀)に基づいて、天孫降臨(高千穂に降りられたニニギノミコトが笠沙の御崎に到着)を松明行列により「記紀の道」を通って表し、二人が出会われてから3人の皇子誕生までの説話を「炎の祭典」により舞われます。松明の明かりの中で古代衣装を身にまとった若者が現代風にアレンジした幻想的な舞は、とても感動的、是非実際に観られることをお勧めします。 「古墳まつり」はこちらをご覧下さい (イベント時には御陵前広場に沢山の出店が出ます) 特徴史跡を守るため西都原古墳群内には電柱等の構造物がありません。西都原内の駐車場は全て無料です。 西都原の詳細情報は、西都原ガイドセンター「このはな館」でおたずね下さい。無料自転車を貸しなどもしています。(西都市観光協会) お問い合わせ このはな館 西都市大字三宅4941番地1 電話0983−43−6230 周辺の観光地:高鍋湿原 座論梅 舞鶴公園 有楽椿の里 周辺の温泉:さいと温泉 周辺の宿泊施設:西都市 高鍋町で探す 戻 る TOPへ 宮崎の観光TOPへ |
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